「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴと美術史料の将来」

『あいだ』170号(2010年3月)に「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴと美術史料の将来」という文章を寄せました(2-10ページ)。2006年から取り組んできたオーラル・ヒストリーの活動を紹介しつつ、オーラル・ヒストリーという史料の可能性と課題について書きました。

加治屋健司「日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴと美術史料の将来」『あいだ』170号(2010年3月)、2-10ページ。

同号は「アートにおける〈オーラル・ヒストリー〉とは」という特集を組んでおり、私の文章の他には、加藤瑞穂さんの「インタヴュー再考――シンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」を探るために」と、稲賀繁美さんの「聴き書きは何をめざすのか――「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」2009年11月14日/国立国際美術館」が掲載されています。2009年11月14日に国立国際美術館で行ったシンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」を踏まえて書かれた文章です。合わせてお読みいただければと思います。


日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴと美術史料の将来
加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授、日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ代表)

はじめに
 本稿の目的は、筆者が他の研究者とともに行っている日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの活動を紹介すること、そして、オーラル・ヒストリーという史料の可能性と課題を考察することである。
 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴは、2006年に大学の研究者、美術館の学芸員とともに設立した任意団体で、日本の美術関係者に聴き取り調査を行い、それを口述史料として収集・保存することを目的としている。07年から聴き取り調査を始め、これまで31名に行ってきた。昨年6月にウェブサイト(www.oralarthistory.org)を立ち上げてインタヴューの公開を始め、11月には国立国際美術館でシンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」を開催した。その頃『あいだ』の編集雑記でもご紹介いただいたので(1)、読者の方には団体の名称を目にした方もいるかもしれない。今回、シンポジウムを聞きに来てくださった国際日本文化研究センター稲賀繁美氏と芦屋市立美術博物館の加藤瑞穂氏から、シンポジウムやアーカイヴの活動に関する文章が寄せられると聞き、私たちの団体の活動について説明させていただくことにした。
 本稿では、まず日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴをどういう経緯で設立したのか、何をどのように行っているのか、何を目指しているのかについて説明する。次に、アーカイヴが収集と保存を行っているオーラル・ヒストリーという史料について考察する。この口述史料は、美術について考える上で、どのような可能性と課題があるのか、そして、従来の美術研究が主に参照してきた文献史料とどのように関係するのかについて検討したい。アーカイヴの紹介と口述史料の考察を終えた後、最後に、日本の美術に関する史料の収集と保存に関する私見も述べてみようと思う。
 なお、本稿は、アーカイヴの活動趣旨を踏まえたものであり、アーカイヴの他のメンバーにも目を通してもらっているが、あくまでも一研究者としての個人的な見解であることを付しておきたい。

設立の経緯
まず、アーカイヴを設立した経緯について述べたい。筆者は、現在では日本の戦後美術についても研究しているが、最初は20世紀アメリカ美術の研究者として出発した。アメリカの美術研究は、アーカイヴ調査が研究調査の基本にあり、筆者もスミソニアン協会Smithsonian Institutionのアメリカ美術アーカイヴArchives of American Art、ニューヨーク近代美術館アーカイヴMoMA Archives、ゲッティ研究所特別コレクションGetty Research Institute Special Collectionsなどを利用してきた。とりわけ、アメリカ美術アーカイヴは、アメリカ美術に関する史料の収集と保存を行う機関で、オーラル・ヒストリーも数多く集めており、筆者はスミソニアンアメリカ美術館でフェローをしていたこともあって、頻繁に利用した。同じ頃にイェール大学に留学していた池上裕子氏(現大阪大学、アーカイヴ副代表)もまた、20世紀アメリカ美術を研究しており、上記のようなアーカイヴをよく利用していた。日本の戦後美術にも関心があった私と池上氏は、日本にはこうしたアーカイヴがないことを残念に思っていたが、それなら自分たちで作ろうと考えて、8月頃から二人で構想を練り始め、住友文彦(当時東京都現代美術館)、鷲田めるろ(金沢21世紀美術館)、粟田大輔(東京藝術大学)と足立元(同)の各氏に声をかけて、合計6名で06年12月に設立した。
 その後、オーラル・ヒストリーの方法論に関する研究会を定期的に開いて、国内外の文献を調査し、オーラル・ヒストリーの理論と実践、オーラル・ヒストリーを美術に導入する意味について検討した(2)。その結果、美術家だけでなく、批評家、学芸員、画廊主、研究者、編集者、行政官、およびその家族など、幅広い美術関係者を対象として、後述するような方法で聴き取り調査を行うことにした。その後、牧口千夏(京都国立近代美術館)、鏑木あづさ(当時東京都現代美術館、現慶應義塾大学)、坂上しのぶ(美術史家、現ヤマザキマザック美術館準備室)、宮田有香(当時国立新美術館、現国立国際美術館)、中嶋泉(一橋大学)、辻泰岳(建築史家)の各氏が加わった(3)。現在はこの12名で活動を行っており、他に、在米メンバーとして、富井玲子(美術史家)、手塚美和子(アジア・ソサエティ)、由本みどり(ニュージャージー市立大学)の各氏が活動に参加しており、法務関係では、日米で弁護士資格を持つ大島葉子弁護士に協力してもらっている。

聴き取り調査の方法
 聴き取り調査は、一回90分を目安とするインタヴューを、通常は時をおいて二回行っている。インタヴュイー(インタヴューを受ける人)によって時間や回数を変えることもある。インタヴュアー(インタヴューを行う人)は二人が基本である。通常は、インタヴュイーに詳しい外部の方にメインのインタヴュアーを依頼して、メンバーがサブのインタヴュアーになるが、メンバー二人で行う場合もある。聴き取りは音声、映像、写真の三つの媒体のうち、インタヴュイーの許可が得られた全ての媒体で記録している。写真は、インタヴュー内容を伝えることはできないが、インタヴューが行われた状況を記録するために撮影している。インタヴューの前に質問票を作成し、それに沿って聴き取りを行っている。話の流れで、用意した質問が聞けないこともあるが、最初に設定した大枠から大きく外れないようにしている。
 質問は、インタヴュイーの経歴の中で、重要と思われる事柄について年代順に聞いている。具体的には、以下のような項目である。
1.いつどこで生まれ、両親はどういうバックグラウンドの持ち主だったか。
2.家族・親族は美術との関わりがあったか。ある場合、その関わりとはどういうものだったか。
3.家族・親族に美術との関わりが特になかった場合、いつから美術を意識し、それに関わるようになったか。また、そのきっかけは何だったか。
4.主にどのような美術教育を受けたか。独学の場合、どのように表現方法を身につけたか。美術家以外の場合、どのような教育を受けたか。その中で美術に関するものはどのくらいだったか。
5.最初の仕事は何だったか。それは美術と関わりのあるものだったか。美術に関連する最初の仕事は何だったか。美術に関する収入で生計を立てていくのにどれくらいかかったか。あるいは別の職業で生計を立てる選択をした場合、なぜその職業を選んだか。
6.パートナーは美術と関わりのある人か。結婚は生活や美術活動にどのような影響を及ぼしたか。子供の有無は美術に関する活動とどう関係しているか。
7.国籍、人種、家柄、宗教、セクシュアリティなどに関する自分のアイデンティティは、美術に関する活動とどう関係しているか。
8.普段の一日はどのように構成されているか。その中で美術に関する活動はどれくらいの割合を占めているか。
9.現在、自分と美術の関わりについてどう思っているか。今までの美術に関する活動の中で何が一番良い出来事で、何が一番悪い出来事だったか。また、これから何をしたいと思っているか。
 聴き取りでは、これらの項目全てをそのまま聞くわけでは必ずしもなく、場合によって聞かないものもあるが、おおよそこうした項目を念頭に置きながら質問を行う。これらを見て分かるように、オーラル・ヒストリーの聴き取りとは、通常のインタヴューとは異なるものである。本稿ではオーラル・ヒストリーの聴き取りにも便宜的に「インタヴュー」という言葉を使っているが、オーラル・ヒストリーとは、特定の目的に基づいて行われるインタヴューと異なり、インタヴュイーのこれまでの活動を、美術と直接関係のないことまで網羅的に聞いていくところに特徴がある。
 聴き取りが終了したら、著作権の譲渡に関する同意書に署名をしてもらう。インタヴュー後は書き起こしをして、インタヴュアーとメンバーで数回にわたりチェックする。校正が終了し、インタヴュイーの了承を得た最終稿をホームページで公開し、音声、映像、写真は事務局(現在は筆者の研究室)に保存しておく。以上が、聴き取り調査の具体的な手順である。

アーカイヴの決定過程と体系性
 アーカイヴの方針は、複数のメンバーによる合議によって決定している。したがって、アーカイヴの活動は、メンバー個人の関心や活動からは基本的に独立したものである。決定事項の中で大きな割合を占めるのは、インタヴュイーの選定である。大枠では、インタヴュイー候補者のリストに基づいて行っているが、状況によって優先順位は変わってくる。インタヴュイーがまだ過去を振り返る時期ではないと考えている場合もあるし、体調によってインタヴューができなくなることもある。インタヴュイーに詳しいインタヴュアーの都合が付かないこともある。反対に、何かのきっかけによって、リストに名前が挙がっていなかった方へのインタヴューが可能になる場合もある。インタヴューは運やタイミングに左右されるので、状況の変化に応じてフレキシブルに対応したいと考えている。
 現在のアーカイヴは、まだ始めてまもないこともあり、体系的なものではない。しかし、アーカイヴとは、多かれ少なかれ非体系的にならざるを得ないのではないだろうか。もちろん、手紙や草稿などを集めたいわゆるアーカイヴと同列に論じることはできないにせよ、先ほど述べたように、オーラル・ヒストリーのアーカイヴは、状況次第でどうしても偏りが生じてしまう。また、現代日本の美術を対象とするならば、現代美術だけではなく、団体展系の動向もカヴァーする必要があるが、現在のメンバーの関心から言って、容易には着手できない対象である。私たちのアーカイヴは、他のアーカイヴの活動を排除するものではない。美術館や図書館にしても、複数の施設があって総体として広い領域をカヴァーしている。アーカイヴもまた複数設立されて、それぞれが補うようなかたちで日本の多様な美術活動を扱っていくのが理想的ではないだろうか。

聴き取りの成果と他の活動
 最初に述べたように、これまで行ったインタヴューは31名分で、そのうち書き起こしやそのチェックが終わった15名の方のインタヴューをウェブサイトで公開している。50音順に敬称略で挙げさせていただくと、池田龍雄、石原友明、石元泰博川添登、桑山忠明、嶋本昭三、白髪一雄、杉浦邦恵、照屋勇賢、堂本尚郎針生一郎、藤本由紀夫、水上旬、宮脇愛子、李禹煥の各氏である。今公開されているインタヴューは、作家や批評家への聴き取りが中心であるが、作家の遺族や学芸員にも話を伺っている。また、今のところ実現していないが、画廊主、研究者、編集者、行政官などにも聴き取りを行いたいと考えている。
 では、こうしたインタヴューを行ってきて、何が分かったのだろうか。その点に関しては、インターネットで公開しているインタヴューを読んで各々で判断していただければと思う。理由は2つある。一つは、インタヴューの成果は、それを利用する人によって異なることである。大学の研究者と美術館の学芸員で何を重要と考えるかは異なるし、研究者同士、あるいは学芸員同士でも関心の所在は違うものだ。また、美術分野以外の歴史家が見ると、別の発見をする可能性もある。もう一つの理由は、インタヴューが終わった時点ですぐに新しい知見が判明するわけではないことである。新知見かどうかは、これまでの発言や執筆、他の当事者による記録、先行研究などと照らし合わせながら慎重に検討する必要があるし、現在の私たちが気づかなくても、10年後の研究者が気づくこともあるだろう。したがって、研究成果について性急に結論を下すのではなく、解釈と判断の可能性をオープンにしておきたいと思う。
 私たちは、聴き取りを行う一方で、オーラル・ヒストリーを美術関係者に知ってもらうために、公開の場で議論する活動も行っている。昨年11月には、国立国際美術館でシンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」を開催した(4)。私と池上氏の発表に加えて、具体美術協会の作家などへのインタヴューを手掛けてきた尾崎信一郎氏(鳥取県立博物館)にも発表していただき、コメンテーターとして前田恭二(読売新聞社)、北原恵(大阪大学)、建畠晢国立国際美術館)の各氏を迎えて、ディスカッションを行った。また今年2月には、広島市立大学でワークショップ「オーラル・ヒストリーと戦後美術の理解」を開催した(5)。アーカイヴのメンバー9名が集まって、オーラル・ヒストリーが戦後美術の理解にもたらす可能性について公開の場で討議した。大阪のシンポジウムについては全発言記録を、広島のワークショップについては発表要旨と報告をウェブサイトで公開しているので、興味がある方はぜひご覧いただければと思う。
 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴが現在行っている活動は以上のとおりである。私たちは、アーカイヴを名乗りつつも、現時点では施設があるわけではなく、複数の研究者による共同研究活動という色彩が強い。だが、私たちは、研究費を得て組織される共同研究よりも長期的な展望のもとに持続的な活動を行いたいと考えている。聴き取り調査で記録している音声、映像、写真は、史料として非常に貴重なものである。将来的には、こうしたものを保存・管理し、希望する研究者が閲覧できるような施設が必要であり、いずれ研究機関にも支援を求める活動を行っていきたい。

オーラル・ヒストリーという史料
 次にオーラル・ヒストリーという史料について考察したい。シンポジウムでも述べたように、筆者は、オーラル・ヒストリーには3つの特徴があると考えている。
 一つは、情報の質的・量的な充実である。現代美術の研究は、美術史学が対象とする他の時代と比べて、同時代の史料が群を抜いて豊富に存在している。しかし、それでもなお、現代美術の研究に携わる者ならば、図書館にある文献史料だけでは限界があること、当事者に聞くことで初めて見えてくる場合があることは実感していると思う。とりわけ、作家と日常的に接している美術館の学芸員は、そのことをよく感じとっているだろう。
 ここで考えてみたいのは、話すことが書くことに比べて、原理的に多くの情報を生み出すかどうかということである。他ならぬ『あいだ』からも、オーラル・ヒストリーとは「「書くこと」に慣れていない人びとから口述の記憶や記録を引き出して、歴史像の歪みを正そうとする試み」ではないかという指摘を受けた(6)。たしかに、作家の中には書くことに慣れていない方もいると思う。しかし、シンポジウムで前田氏が述べたように、書くことだけでなく話すこともまた、ある統合された主体を要請する行為であって、作家の場合、そうした主体が立ち上がらなくても作品を作ることが時として可能であるという事情がある。実際、書くどころか話すことも好まない作家も存在する。オーラル・ヒストリーにおける情報の量的な充実は、伝達手段の差異(書くか話すか)だけで生まれるものではない。おそらくそれ以上に重要なのは、発表媒体の条件ではないだろうか。書くことは、出版物及びそれを可能にする資本を必要とし、それゆえ経済的な原理に従って情報の加工を当然のように行ってきた。出版という形態を採らないオーラル・ヒストリーは、こうした情報の加工をそれほど必要としないため、情報の量的な充実を可能にする。
 とは言え、稲賀氏と加藤氏がともに指摘しているように、そこには依然として校正作業に伴う問題がある。全く加工のない書き起こしは不可能である。話したとおりに書き起こすと、かえって意味が分からなくなることもあり、読める文体に整えるという最小限の作業は必要である。校正には、アーカイヴ側の作業とインタヴュイー側の作業がある。インタヴュイーの校正については、私たちとしては、最小限にとどめていただくようにお願いする立場なので、情報の加工を抑えるのには限界がある。現時点では書き起こしの公開に限定しているが、音声と映像を非公開とする制限条件を加えていない方のインタヴューを将来公開することができれば、この問題は大きく改善されるだろう(ただし現時点では、そうした史料を公開する施設を持たないため、音声と映像の公開は現実的な選択肢ではない)。
 情報の量的な充実については上記のとおりだとして、では、「質的」な充実についてはどうだろうか。インタヴューの中で、人生の各局面における出来事や考えを、周辺の情報まで含めて時系列で聞いていくと、インタヴュイーの頭の中で出来事が相互に関連して記憶がよみがえり、語りに厚みが出てくることがある。また、オーラル・ヒストリーは、インタヴュアーという他者がいるため、質問されて初めて気づかされる問題、自分では言葉にしてこなかった問題にインタヴュイーが直面し、新たな事実が明らかになることもある。ただ、この点については、インタヴュアーの能力にかかっているところもある。インタヴューは、聞き方次第で聞けることも聞けなくなってしまうことがあるため、情報の質的な充実は、オーラル・ヒストリー自体に加えて、その実施状況にも大きくかかっていると言える。
 ここで付け加えておきたいのは、オーラル・ヒストリーが情報の質的・量的充実をもたらすとしても、ワークショップで池上氏が白髪一雄氏の事例に即して述べたように、これまでの文字史料の重要度が減じるわけではないということである。語った内容が真実かどうか、そして、それがどの程度重要かは、先ほども述べたように、それまでの発言や執筆、他の当事者の記録、先行研究などを参照して分かってくるものであり、文字史料は依然として重要な参照対象である。ただし、文字史料が全てを決定するわけではない。文字史料で書かれていないことが語られる場合もあるし、加藤氏も指摘しているように、文字史料で既に言われたことが、オーラル・ヒストリーの中で別の形で言及されて、比較対照できる場合もある。また、よく知られていなかった文字史料の存在がオーラル・ヒストリーによって明らかになることもある。つまり、オーラル・ヒストリーと文字史料は、相互に参照し合う関係を持っていると言える。
 オーラル・ヒストリーの二つめの特徴として、権力の分散性が挙げられる。これまで美術の動向は、活字メディアを通して知られてきたため、東京やその近郊で活動する有名作家が中心に扱われる傾向があり、地方の美術運動の展開など、十分に扱われてきたとは言いがたい対象も存在する(7)。また、時代の動向に合致しない作家、政治的主張等ゆえに敬遠される作家などの声もメディアには乗りにくかったし、学芸員、画廊主、行政官など、美術の動向の決定に大きく関与しながらも「黒子」として表舞台に出てこない人たちの実情も、当事者以外には見えにくかった。シンポジウムでの北原氏の指摘にもあったように、美術の歴史は著名な男性作家たちだけが作っているわけではない。商業メディアでは、同時代の多様な表現活動やそれに対する多様な関わりを十分に扱うことができない。商業メディアと異なり、販売による利益を出す必要のないオーラル・ヒストリーは、そうした点において多様な人々の声を集めやすい手段となっている。
 しかしそれは、著名な作家にインタヴューをすることを排除するものではない。2つの理由が考えられる。
 第一に、オーラル・ヒストリーのインタヴューは、その作家の活動の様々な側面を明らかにし、その作家の脱神話化を促す可能性がある。もちろん、稲賀氏が指摘するように、インタヴュイーが他者の解釈を排除し自己の言説の正統性を強化するためにインタヴューを利用する可能性はある。だが、後述するように、オーラル・ヒストリーは発話行為の詳細を記録するため、動機づけられた行為を検証しやすくなり、語った内容がそのまま受け入れられることは少ないように思われる。問題は、オーラル・ヒストリーの語り手の思惑にあるというよりは、作家の声だけに価値を置いて、それを自らの解釈を正当化するために用いようとする解釈者の素朴な実証主義のほうにあるだろう。オーラル・ヒストリーはたしかにそれを誘発したりそれに加担したりしうるが、同時に、それを切り崩していく可能性を持っていることを強調しておきたい。
 第二の点は、作家の著名性は文脈依存的であるということである。著名な作家は、前衛美術など特定の文脈では著名な存在かもしれないが、若い頃などは必ずしもそうではないことがほとんどである。また、著名な作家といえども、歴史や社会の中では一人の生活者であり、社会的出来事に一目撃者として立ち会っている可能性もある。ワークショップで坂上氏は、ある作家へのインタヴューによって、ベ平連の依頼で脱走兵が京都の北白川芸術村でかくまわれていた事実が明らかになったと述べた。筆者が関わった李禹煥氏のインタヴューでは、韓国・北朝鮮の統一運動に関わっていた過去への言及があったが、この運動における李氏の立ち位置は、美術におけるそれとは異なっている。著名性という形に表れる権力関係は、固定化された実体というよりも、社会的な関係の中で決まる相対的なものではないだろうか。オーラル・ヒストリーの特徴の一つである権力の分散性は、著名な作家へのインタヴューと必ずしも矛盾するものではない。著名な作家へのインタヴューであっても、これまでの美術に関する言説を構成してきた権力関係を開いていくことは十分に可能である。
 ここに、美術史におけるオーラル・ヒストリーの大きな特徴の一つがあると考えられる。美術史もその一部である歴史学のオーラル・ヒストリーは、政治史と社会史でアプローチが二極化している。政治史においては、90年代後半以降オーラル・ヒストリーが注目を集めるきっかけを作った御厨貴の仕事に代表されるように、政治家や官僚など公人へのインタヴューが中心となるのに対し、社会史のオーラル・ヒストリーは、文字史料に掬い上げられることのない人々への聴き取りを行っている(8)。ワークショップで鷲田氏が述べたように、おそらく、美術史のオーラル・ヒストリーとは、このどちらでもない人びとを対象にしていると言えるだろう。作家も批評家も、政治家や官僚と同じ意味での公人ではないし、かといって、文字史料に表れにくいマイノリティでもない。どちらも、作品や批評を、公的なものというよりは個人的な表現活動として、しかし広く社会に向かって発表している存在である(9)。作品や批評を広い意味での言説と捉えるならば、美術史におけるオーラル・ヒストリーは、作家や批評家の言説に、インタヴューという別のかたちの言説を差し向けることによって、それぞれの活動を多角的に捉える視点を提供するものと言えるだろう。
 オーラル・ヒストリーの三つめの特徴として、発話行為の事実性が挙げられる。史料としてのオーラル・ヒストリーは、実証性という点で問題がなくはない。オーラル・ヒストリーが本人の語りであることは明白であり、そして、アーカイヴが信用される組織である限り、来歴も明白である。しかし、語った内容が真実かどうか、そして、真実である場合、それがオリジナルかどうか(初めて明かされる事実かどうか)という点は、議論の余地があるだろう。
 オーラル・ヒストリーにおける語りの真実性とオリジナリティは、これまで何度か述べてきたように、他の発言や執筆、他の当事者の記録、先行研究などと照らし合わせて検討することで明らかになるものである。しかし、仮にそれが真実でもオリジナルでもなかったとしても、発話されたという事実が持つ意味があるのではないだろうか。
 オーラル・ヒストリーの聴き取りを進めていくと、意識的であれ無意識的であれ、真実ではないことが時として語られる。嘘や記憶違いは、歴史的事実に関する情報としては誤りだが、語り手にとっての心的な真実であり、語り手や語り手が属する社会集団を理解する手掛かりの一つになるのではないだろうか。つまり、語っている内容は常に正しいわけではないが、語っているという事実そのものは存在しており、発話行為が事実であるからこそ、嘘や記憶違いの意味を分析することが可能になる。したがって、語りの中に真実やオリジナルでないことがあったとしても、それは、史料的な価値を持つものであり、それを保証するのが発話行為の事実性なのである。
 発話行為の事実性は、芸術家主体の概念にも関わってくる。オーラル・ヒストリーで実際に話を聞くと、語り手の印象が作品や文章が与えるものと異なっていて、その人に抱いていたイメージが崩れることがしばしばある。これは、発話行為のパフォーマンスがその都度、オーラル・ヒストリーの主体を構築し、芸術家の主体を攪乱していると考えることができる。したがって、オーラル・ヒストリーのパフォーマティヴな効果に注目することが、芸術家を統一的な主体とみなし作品解釈をバイオグラフィーに還元してしまうのを回避する手段の一つになりうる。このことは、特に近現代美術の研究において大きな意味を持つだろう。なぜなら、肯定的であれ否定的であれ、芸術家の主体に対して関心を持つのは、もっぱら近現代美術の研究者たちだからである。古美術の研究者は、そもそも作品を制作した主体を特定できない場合が多く、近現代美術の研究者ほど芸術家の主体を意識しないように思われる。したがって、芸術家その人に話を聞くというオーラル・ヒストリーは、とりわけ音声や映像が公開されるようになれば語りの中に主体の揺らぎを見出しやすくなるため、逆説的ではあるが、芸術家主体の概念に対してむしろ脱中心的に機能する可能性がある。そこでより豊かなものになっていくのは、作品と活動、その文化的な配置に対する記述ではないだろうか。

おわりに
 日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの活動を紹介し、オーラル・ヒストリーの可能性と課題を検討してきた。アメリカ美術アーカイヴなどアメリカのアーカイヴを参考にしながら設立を準備した経緯、通常のインタヴューと異なりインタヴュイーの活動を網羅的に聞いていく聴き取り調査の方法、これまでの成果に関する考え、オーラル・ヒストリーの公開討論の活動について説明を行った。そして、オーラル・ヒストリーという史料の持つ特徴として、情報の質的・量的充実、権力の分散性、発話行為の事実性の3点を挙げて、それぞれの可能性と課題について考察した。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴだけでなく、オーラル・ヒストリーそのものについても、おおよそ理解していただけたのではないかと思う。
 最後に、日本の美術に関する史料について私見を述べて、本稿を終えることにしたい。私たちは、美術史のオーラル・ヒストリーに大きな可能性を見出して活動を行っているが、オーラル・ヒストリーという史料ができれば、それだけで日本の現代美術の研究状況が一変すると思っているわけではない。日本の現代美術研究が進展するためには、出版物(書籍、展覧会図録、新聞・雑誌など)やオーラル・ヒストリーの収集が充実すると同時に、美術に関連する多様な史料を集めたアーカイヴの創設が必要である。美術史料には、図書館が扱えない、あるいは扱ってこなかったものが多数ある。著書や論文の草稿、講演で読みあげた原稿、作家、批評家、画廊主、コレクターなどとやりとりした手紙、展覧会やシンポジウムで配布された資料、画材の購入記録などは、アーカイヴにしか収められないものである。また、新聞や雑誌のうち、図書館でなかなか手に入らないものがアーカイヴに含まれていることもある。こうしたものを参照しながら行われているアメリカの美術研究と同等の研究を、日本で行うことには困難が伴っている。公的機関が美術に関連する多様な史料を集めてアーカイヴを設立し、研究者が利用できる状況を一刻も早く作ることが求められている。
 同時に、こうした史料を活用する知的環境もまた必要である。マサオ・ミヨシがかつて指摘したように、日本の評論の多くは、先行する議論への参照を十分に行わなかったため「あたかも誰でもみなその思索をゼロから始めているような」印象を与えてきた(10)。現代美術の批評やエッセイの多くについては、今も同様のことが言えるだろう(11)。学術論文でないからといって、先行する議論への参照をしないで済むわけではない。先行する議論を参照しない議論は、自らも参照されなくなっていく。日本の戦後美術史において、数え切れないほどの美術批評が美術雑誌に掲載されたが、批判の対象としてであれ、今日まで参照され続ける文章はいくつあるだろうか。筆者の研究室には、『美術批評』、『美術手帖』、戦後の『みづゑ』などがほぼ揃っているが、同様に揃っているArtforumと読み比べると、暗澹たる気持ちになる。86年にパリで開かれた「前衛芸術の日本」展に対するカトリーヌ・ミレーの評を受けて、東野芳明は日本の戦後美術史を「自爆につぐ自爆の連続」だと言ったが(12)、それと同様の事態は美術言説においても起こってきたし、今なお起こり続けている。現在の美術に関する言説を紡いでいくことも大切であるが、日本の美術における過去の豊かな営みを評価する土壌を作らないことには、今作られつつある言説も同じ轍を踏むことになってしまうだろう。オーラル・ヒストリーが、そうした状況を変えるための一歩となることを願っている。


国際日本文化研究センター稲賀繁美氏と芦屋市立美術博物館の加藤瑞穂氏は、『あいだ』の本号に掲載される予定の文章を事前に見せていただき、本稿を執筆するに当たって大いに参考にさせていただきました。心よりお礼申し上げます。日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴのメンバーには事前に原稿を読んでもらい、コメントをいただきました。感謝しています。
1.F[福住治夫]「編集雑記」『あいだ』165号(2009年10月)、40ページ。
2.美術史におけるオーラル・ヒストリーの活用はアメリカで始まったものである。その日本における適用については、後述する広島のワークショップで足立氏が批判的な検討を行った。
3.初期の会合には川出絵里氏(美術出版社)がオブザーバーとして参加していた。
4.シンポジウム「オーラル・アート・ヒストリーの可能性」は、2009年11月14日に国立国際美術館で開催された(主催:日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ、大阪大学グローバルCOE、共催:国立国際美術館)。
5.ワークショップ「オーラル・ヒストリーと戦後美術の理解」は、2010年2月6日に広島市立大学で開催された(主催:日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ)。
6.F「編集雑記」、40ページ。
7.それが具体美術協会の評価が遅れた原因の一つと指摘する向きもある。例えば『戦後日本の前衛美術』(横浜美術館、1994年)、34ページ。読売アンデパンダン展中止後、地方の美術運動には重要なものもあったが、『美術手帖』296号(1968年4月)の「地方の前衛」特集を除いて、メディアで十分に扱われてこなかった。
8.御厨貴『オーラル・ヒストリー 現代史のための口述記録』(中公新書、2002年)、法政大学大原社会問題研究所編『人文・社会科学研究とオーラル・ヒストリー』(御茶の水書房、2009年)。
9.たとえば学芸員は,展覧会という形式で自らの考えを表明しているが,その業務の決定過程は多くの場合明らかにされないため,政治史が扱う公人に近い。画廊主、研究者、編集者、行政官については、考察する機会を改めたい。
10.マサオ・ミヨシ「座談会と会議 言説の形態」『オフ・センター 日米摩擦の権力・文化構造』佐復秀樹訳(平凡社、1996年)、411ページ、註10。
11.例えば、筆者が知る限り、読売アンデパンダン展の中止を、東京オリンピック開催を控えた状況と結び付ける管理社会論的な視点を初めて提出したのは、椹木野衣の『戦争と万博』である。ハイレッドセンターの「首都圏清掃整理促進運動」とオリンピック前の準備との関係は、赤瀬川原平をはじめ多くの人が書いているが、アンパンの中止とオリンピックの関係は、椹木が指摘するまで誰も論じてこなかった。アンパンの中止は、出品作品が過激化して都美術館と作家の対立が激しくなり、読売新聞社が主催を降りたという前衛史観の観点からもっぱら理解されてきたのである。椹木が管理社会論的な視点から指摘した後、他の論考でも同趣旨の記述を見かけるようになったが、最初に解釈を提示した人に対する敬意はなおざりにされがちである。椹木野衣「戦争と万博 完結編 後編」『美術手帖』839号(2003年9月)、173ページ[『戦争と万博』(美術出版社、2005年)、242ページ]、『美術手帖』906号(2008年4月)、46ページ。
12.東野芳明「戦後日本の前衛芸術」『朝日新聞』1987年4月21日夕刊、5面。